この言葉を意識するようになってから、ほぼ30年になる。病室で一人の若い進行乳癌の母親が、意識喪失の直前に、まだ幼い我が子たちに、自分のいなくなった後、いかに生きるかを諭すように話すのを横で聞いていたのがきっかけであった。この方はこの言葉の後、数時間で意識を失い亡くなった。子供たちがどのように受け取ったか知る由もない。その時このような悲劇を繰り返したくないと言う気持ちに包まれ、心に決めたのがきっかけであった。当時はいかにして乳癌を治癒させるかに、全力を注ぐのが精いっぱいの仕事であった。
日本乳癌学会名誉会長 乳腺外科専門医 冨永健