乳腺診療の基本(診療理念)

 日本の乳癌診療は、過去外科的治療や病理学的診断を中心に歩んできた。1960年代から現在にいたる画期的な変革、主として生化学的あるいは遺伝学的等の新知見の開発から、一大変化を遂げた。今、個々の診断や治療の個別化を見出す事が、如何に急務であるかを知る時である。その人に合った診療を行うべきである。“乳癌死ゼロの日”は目前にある。
 

 私の知る限り、現在我が国のすべての乳がん患者を、正確に早期発見し適切な手術を行い、もっとも相応しい補助療法を行えば、その治癒率は95%以上に達するだろう。100%でないのは癌であることだ。癌に関しては今もなお未知の事柄が多いが、他の癌ではここまでの成績は得られていない。癌の性格や環境などが著しく異なるからだ。
 乳がんに関しては
1)早期乳癌を発見する技術は大きく進歩している。
2)そのために必要のない検査や手術も多くなっている。
3)美容を重視する風潮が高まり、癌の手術(生命にかかわる)など治療面での配慮が軽視される傾向がどうしても生ずる。
4)乳癌治療後のいわゆる術後観察が十分行われていない。再発は20年以後でもよく見られる事が知られている。これが乳癌の特徴でもある。術後補助療法の種類、投与方法、投与期間その他個別に検討すべきことは多い。この研究はほとんど行われていない。
5)臨床家といえども基礎的な研究の心は失わず、癌の特性や実態の解明にいそしむべきである。

これらは今急いでやるべき事項である。

目次

乳癌治療の方法

 近代の乳癌治療が始まったのは19世紀末である。手術療法に内分泌療法が加えられた。手術法は単純乳房切除から始まり、腋窩リンパ節郭清を伴う乳房切除が多く行われ、さらに拡大手術まで試みられた。このころから研究の成果があがり、内分泌療法の飛躍的な発展、それに抗がん剤による治療が加わった。最近では分子標的治療剤が盛んに用いられ、極めて多彩な治療が行われるようになった。重要なことは、これらの有効な手段を如何に完全な病巣除去を行うか(手術、化学療法、放射線など)、もし不完全な治療であればいかなる方法で補うか(化学療法、放射線など)如何に効果的に使うかにある。一人ひとりの性格の異なる乳癌をよく分析し、最もその人にあった治療方法を選ぶべきである。

1)手術療法
 乳癌は乳腺組織より発生する(乳腺、乳管等)。従って最初は乳房内から発生するのは当然である。その局所を完全に切除することにより再発は防げるはずである。然し5%程度の転移は現実にみられる。腫瘤が小さくても転移が見られることがある。癌だからである。注意すべき特徴である。癌の部分を切除する際その範囲を正確に知ることが要求される。視触診、マンモグラフィー、超音波検査、MRI等の精査により切除範囲を確定し、正しく切除する。また、センチネルリンパ節を精査し確実な情報を得て処置する。Fibroadenoma, cystなどの良性腫瘤については切除することもあるが、その臨床症状に応じて経過観察することもある。(4D法)                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                
2)放射線療法
 手術と同じく局所療法である。最近の照射療法の進歩は著しい。身体状況で手術不能の場合などや、転移巣の抗がん剤による制御不能の時などによく用いられる。                                                                                                                                                                                                                      
3)ホルモン療法                                                                                                                                
 ホルモンは乳癌,前立腺癌に特異的に用いられる極めて有用な抗癌剤である。乳癌では癌組織中に認められるホルモン受容体(ER+ and, or PgR+)の場合が有効であり適量が使用される場合極めて有用であり副作用も少ない。術後の効果は注目に値し、特に長期(15年以上継続使用)が検討されている。ホルモン剤使用に当たってはその種類の適宜変更が重要である。生命の延長は言うに及ばず完全治癒に連なる効果を発揮することもある。年齢、閉経時期、個人的身体状況など医学的に留意すべきことは多い。種類としては、LHアナログ(ゾラデックス、リュープリン)、タモキシフェン、トレミフェン、ヒスロンH(メドロキシプロゲステロン)、アロマターゼ阻害剤(フェマーラ、アリミデッス、アロマシン)等。以上、代表的なものを記述した。*ここで特筆すべきは乳癌の治療において、タモキシフェンが果たした役割である。これを見た他の癌種の治療にかかわる研究者達はそれぞれの癌でも同様の薬剤があるのではないか、と考えたのは当然である。そのような係累に入るものが、分子標的薬剤であろうと考えられる。従ってタモキシフェンのもたらしたアイデアは大きな意味を持つ。乳癌治療におけるハーセプチンもその範疇に属する。(2017.11.11追記)
4)抗癌剤療法
 乳癌に有効な抗癌剤はかなりあるが有効率は20-30%程度にとどまるものが多くその効果が持続するものは少ない。その中で効果が高く比較的汎用されている薬剤を示す。AC療法―アドレアシン(3週ごと)+エンドキサン(IVまたは経口)次いでタキソール(3週ごと)∔5FU系経口剤フルツロン;再発例では長期投与も可能等。カぺシタビンはフルツロンと同じ5FU系の薬剤であり、有効であるとされているが、副作用が強烈であり発売時よりしばらく使用していたが、あまりにも乳癌患者の生活に支障を及ぼすことから今は一切使用していない。5FU系薬剤は他の抗がん剤と併用する場合に使用するのが効果的であり、タキサン類などはよい例である。又、カぺシタビン承認前にフルツロンとの比較試験を行うよう進言したが、その発売薬品会社はなぜか聞き入れてくれなかった。ただフルツロンの継続販売だけは認めたようだ。                     
5)分子標的薬剤
 この種の薬剤は多数あり、今もなお数多く検討されている。抗腫瘍効果は軽微であるがホルモン剤や抗がん剤との併用で、それぞれの相乗効果がある。特異な作用機序を持ち今もなお新しい薬剤の開発研究が行われている。 乳癌に有効なことで知られているのは、HeR2(+)の症例である。
 薬剤としては、ハーセプチン(トラスツズマブ)、タイケルプ(ラパチニブ)、パージェタ(ベルツズマブ)、カドサイラ、(トラスツズマブエムタンシン)など。但し、ハーセプチン以外は長期投与の成績はない。これらは極めて高価である。今後の改善と進歩を期待したい。ホルモン受容体(+)の場合、Her2(+)及びHer2(-)のそれぞれに対し、有効な分子標的薬剤がすでに製造されているが長期投与の有用性は不明である。またその費用は莫大であることから、その臨床的価値と考えあわせ検討の必要がある。適用患者さんの大切な生命予後に役立つものであってほしい。

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乳癌の基礎的研究のすすめ

 日本乳癌学会を創立した時、目標としたテーマの一つに、“基礎と臨床の架け橋”を掲げた。それは臨床家であると同時に基礎的探究の心を持って医学の実施や発展にとりくんでほしいと思ったからだ。当時自分の置かれていた環境の中で、まさしく取るべき道でもあった。
 癌の成因や増殖過程を詳しく知るためには、ヒトだけではなし得ないことである。動物実験に頼ることもその一つであった。”癌とホルモン”の研究を始動するために私は動物飼育から始めた。高率に癌を発生するSD系ラットでの実験が最初であった。1960年夏のことである。微研で行った実験や生化学的実験は、駒込病院実験室で1990年代まで続いた。その間、臨床に役立つ様々なIDEAを得ることができた。

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術後の診療

 これは極めて大切なことである。丁寧に診てほしい。乳房は両側にある。手術が片側であればもう一方は残っている。乳房温存法であれば両側である。再発発見は勿論、新しい乳癌の早期発見も大切である。一度乳癌になった人は高危険群に入る。ホルモン感受性の乳癌であった人はホルモン剤長期投与が望ましい。進行の程度によるが主治医の判断は重要である。観察の間隔の決め方もたいせつである。私は自分の経験から術後15年以上の診察をこころがけている。それは術後19年後、29年後再発などを経験しているからである。不幸にして再発が見られた場合、その時の状況に応じた治療を行うのは当然である。

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4Ⅾ STYLEよる乳腺疾患の診療


 前述のように、従来、がんをふくむ乳腺腫瘤などの疾患に対しては、視触診に加えて、マンモグラフィーやエコーによる初期診断が、行われるのが一般的である。
 まず視触診を鎖骨上下窩、両腋窩から始め、両乳房をくまなく精査する。乳頭及びその直下、皮膚の変化の有無なども詳しく精査する。異常を認めた場合、マンモグラフィ(2Dまたは3D,エコーによる補助診断も併せて行う。これらの方法によって、かなりの確率で診断を行うことができる。確定診断を下す最終の方法は細胞診、または組織診である。そのためには細胞診や針生検が行われる。それで不十分なときは切除生検を行う場合もある。
 ここで試みるべきは、時間的因子を加える4Dの考えである。数か月の間隔をおいて、もう一度診察を行う。一定時期、一点における診断を下す症例でも、時間的因子を加えることにより、手術などの身体への侵襲を避けうる症例があるはずである。
 4Dの考えを取り入れれば、現在のマンモグラフィとエコーにつづく、不必要かつ過大な侵襲を少しでも軽減でき、かつ経費節減に繋がるものである。個人の肉体的負担も軽くすることができる。
 既に発表されている臨床成績の結果から、マンモグラフィとエコー併用は、診断感度の上昇はえられる(病気であるものを見逃す可能性は低い)が、特異性(病気でないものを正しく病気でないと判定する確率)は低くなる欠点があり、これを防ぐ方法が4D法である。

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最近の乳癌関係の報道について

 最近、乳癌に関する報道が盛んに行われているようであるが一面的なものがほとんどで、全貌を知るには程遠い。中には自分で診療方針を決めて、それを実行に移している家族もいるようだ。誰かの誤った助言によるのか?一方現政府の取っている診療に関する指導方針に至っては何をかいわんやと言いたい。
 病院や診療所の経営者の中には、経営を第一とする理事長も見られ、医療を軽視する人物も多い。悔しい現実である。為政者はどう考えているのか?
 乳癌に関しては、初期診療が最も大切である。早期発見は言うまでもなく、最も重要な問題である。その次に大切なのは乳癌と診断した後の初回治療の方法であり、その選択と実施である。乳癌は当然のことながら乳房から発生する。他の臓器から発生することはない。ただしごくまれに小さい腫瘤でも早期に他臓器に転移するものもあると考えられている。然しそれはせいぜい5%以下と思われる。早期乳癌(I期以下)であればまず部分切除(乳房温存手術)で完治する。最近では外科系学会員でありながら、乳がん治療の第一は薬物療法であるという人がみられ、外科医でもわかっていない人があり、乳がん治療に関して外科医の不勉強さが指摘されている。
 これまでのデータから原発巣の完全切除が最も有効であることは、各科専門医師の等しく認めるところである。それに薬物療法を加えることにより治療効果を高めることは症例により有り得るし有用である。その場合も、明確な根拠によるものであってほしい。最近ニユースで伝えられたケースの場合では、初期診断や初期治療の詳細については知り得ない。またその後に起こった転移巣の治療が適切であったかも定かではない。せいぜい20~30%の有効率の比較的新しい抗がん剤の逐次的投与を行うだけでなく、古くても実績のある抗がん剤の長期投与を試みて欲しいと思う。新薬の場合、副作用の繰り返しだけに終わることも多いと想像するからだ。反省を込めて勇気ある発表を期待したい。あとに続く同じような症状を呈する患者さん達のために役立てたいからだ。
 担当医師に最も望みたいのは、その患者さんが望む生きがいを、できる限り実現させてあげることにあると思う。
 一昨日の報道(2017年6月29日)によると、毎年行われている癌検診で大丈夫と判定された場合でも、約20%以上の癌症例が見逃されているとのことであった。検診の制度の問題であり、私の日頃実践している4D法を取り入れてもらえば、一助になるはずである。是非この考えを導入してほしい。

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説明と納得

 乳癌になってしまった方に役立つ説明をする。病気の現状を詳しく説明し、はっきり理解してもらう。理解が不十分であれば、わかるまで何回でも繰り返す。時には紙や黒板などを使用して図示などを交えながら、わかりやすく説明をする。そのうえで現状に対して可能な治療法を全て明示する。ここで患者さんの希望もよく聞くことである。望まれた方法が現状から考えて、あまり得策でないと考えられた場合、その理由をわかりやすく説明することも大切である。要はご本人のはっきりした納得を得ることである。主治医が自分の決めた治療法を強行することは絶対に避けるべきである。相談して決定した事柄については、文章にして必ず残すことが必要である。

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