高齢者医療の実態

 都立駒込病院その他で診療をし、今もそれを続けている患者さんのお世話で、はからずもT会病院の乳腺外科に週1~2回勤務することになった。T会に属する病院と老健ホームの都合があったらしく、いつの間にか老人ホーム施設長にされていた。T会の思惑があったと考えられる。私が望んだのは病院勤務であり、ホームの施設長になることではなかった。そのことを事務長たちは、初めから承知していたのは確かなようである。形式として老人ホームから出向する形をとったものらしい。私にとって、かなりの負担があるらしいことは分かっていたが、何の発言もせず従った。

目次

老人ホームの経営実態

 勤務開始の当日すぐに気づいたことは、看護師長の態度であり、すぐに彼女が当老人ホームの運営を殆ど仕切っているという現実であった。前施設長(医師)は殆ど活動していなかった。ただ存在することにより、経営に参加していたというような、いわゆる形式的な勤務であったようだ。我々が医師として入所者の実際の健康状態を直接診察するような行為も、3年間行われていないことも知った。それはそれで許容されているようであった。医師の目から見て即、医学的処置が必要であると診断を下しても、予約は例えば2週後にとってあるからと、看護師長が自分の決めたスケジュールを押し通す。患者(入所者)は言いなりである。そういったしきたりで運用されていた。これは医師の立場上無視できない事柄である。このようなことが繰り返し何度も繰り返されていた。さらに入所者の病状について適切な処置がなされていない場合は、医師であり施設長である私が診察を繰り返し、ホームでできる簡単な治療は、行うようにした。医師として放置できることでは無かった。これだけでも無駄な通院や診療費を考えなくて済む。然したった一人の医師(この場合は施設長)がやるには、入所者の数からみても荷が重すぎる。本当は複数の医師でないとできない仕事量である。しかしこれが現実であり、現状を認定したならば、すぐに専門医療機関への紹介をするなど、現状をいかに改善するか、担当所轄責任官僚に問いたい。

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入所者への態度の実態

 現場での観察を続けていて気が付いたことに、弱い病者あるいは入所者への接し方がある。現場で働く多くの各種介護士や理学療法士らは、入所者に直接触れることも多く、病者 達の依存度も高い。けれどその介護の方針は、看護師長が強く管理し指図する。それもかなり一方的である。その光景もしばしば目にした。そこで私は時間があれば、できる限り施設内を回診し、入所者にこちらから話しかけるようにした。その効果か、2,3週後入所者に変化が見られるようになった。目に輝きがみられるようになり、何よりも遠慮がちではあるが、私に話しかけようとする様子が見られるようになった。それも何かにおびえながらー。 私は時間をかけ、何でも聞いてあげるようにし、心を開いてもらえるように導いてみた。これは極めて効果的であった。病者や入所者の声がやや大きくなり、安心して声をかけてもらえるようにもなった。久しぶりの笑い声も聞かれた。このことは、介護士たちの間に伝わり、介護を担当する若い人たちの態度が変わってきた。みんなが協力的だった。入所者の心情を思うとき、心に響くものがあった。しかし相変わらず看護師長との関係は改善されないままだった。現時点で直ちにするべきことは、如何に医療上の問題を早急に解決するかである。  

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看護婦長らの抵抗

 そのような環境下にあったある日、驚いたことに看護師長以下10人の看護師が、突然辞表を提出するという事件がおこった。全員であることに私は疑問を持った。それは看護師の中にも、私の考えに共鳴してくれている人がいることを知っていたからだ。何か集団的な駆け引きを感じた。これらの状況を知った、施設の母体であるT会の本部のある鹿児島から、看護部長がやってきて双方の言い分を聞き、部長が看護師の説得に当たった結果、看護師の辞表は撤回されることになった。この職場にいる看護師がすべて看護師長と同じ考えを持っているとは思えないし、何が話されたのかもわからない。また一方で、一人の看護師を獲得するためには、看護師紹介所に百何十万円もの紹介料を支払っていることも知った。この依頼用紙に私が印鑑をついたこともある。女性の事務長も苦労していた。介護士達も同様に紹介所を通じ、採用されていた。こんなところにかなり高額の経費がかかっていることを、そして一方では、介護者達の待遇改善と称して、老人介護料金を事実上値上げしている政府の方針を、関係者は知っているのだろうか。

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運営会社であるT会の理事会に見られた経営実態

 T会では理事会が時々開かれる。私も理事になっている関係で、東京で理事会が開かれるとの通知が来る。欠席の場合は委任状の提出を求められる。例えば2016年に開かれたある理事会では、送付されてきた理事会資料には、検討議題が5題ほど羅列してあったが、それぞれの内容は全く記述されていない。そこで各検討議題(箇条書きしてある)の内容を見せてほしいと頼んだが,用意していないという。理事会の所要時間は20分で、議題の膨大な予算案など検討できるはずはない。理事長など幹部だけで、全てを決めている様子が見て取れる。医療に携わっているというより、経営に腐心している様が容易に推察される。それはT会発行の週刊新聞を見ればよく分かる。そこに記述されているのは実態を見誤らす内容である。T会と東京都幹部との関係は古くからあり、すでに報道されている醜聞についてはよく知られている事実である。東京都庁の体質は古く明治時代から変わらず受け継がれており、彼らもそれを公言してはばかることがなかった。このことは現実に今回選挙で選ばれた新東京都知事により豊洲問題などで、実態が暴露され、話題になっているのは周知の事実である。以前東京都に勤務していた者にとっては思い当たる事柄である。まさしくこれと同じことが、以上述べた実例のように、T会ではもっと露骨におこなわれていた。監督官庁は年に一回、複数の職員を、それも経験の浅い新入の職員を、検閲のため一日派遣してきたが、質問を受けることを予想して朝から待機していた私、施設長には、何の問いかけもなかった。

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健康保険に入っていても使用できない馬鹿げた制度

 なお老人ホームに入所した介護の必要なお年寄りたちは、医療保険に入っていてもそれを使えない制度になっていて、使いたいときは、家族が一時的にでも引き取って病院に連れていき、面倒を見ることになっている。何と不便なことか。それにもまして問題にすべきは、相当前に処方された薬剤が、一人10種類以上今も投与されるという現状である。入所費用にはそれも含まれており、赤字を出さないように考えながら処方されている。家族にとってかなりの出費である。ところで1例1例調査してみると、もうすでに必要のない薬剤がいまだに投薬されている例も多い。さらに急を要する問題点として、入所中の事故の発生である。老人が多く、問題があることは分かるが、あまりにも多すぎる。例えばベッドにまつわる転落事故などはほとんど毎日起こっている。しかも施設長(医師)への報告は遅い。数日後に知らされるのがふつうである。中には骨折もかなり含まれている。どうしても専門医にかかるまで時間がかかる。電話もあることだし、どうして敏速な対応ができないのか。血腫が大きくなって初めて見せられたこともある。もともと外科医である私にとって、それでも看護師かといいたい。環境が生み出した悪しき習慣である。近隣に所在するほかの老健ホームの施設長(医師)を訪ねて、そこでの状況を聞いてみた。私の場合と全く同じ答えが返ってきた。少なくともこのような状況はどこでも共通しているらしい。監督都府県の担当職員は分かっていないようだ。このようなことは現在の東京都庁の行政担当職員の現状が暴かれたことと通じる。それぞれの分野を担当する役職の人たちの猛省を促したい。

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老健法について

 私は東京の江東区に住んでいるので、老健法を受ける立場にある私の老健法施行で起こった事故について、区役所に電話してみたが,夕方5時以降は受け付けないという。リハビリなど老健法に起因する事故についての処置方法を一刻も早く知りたかったのだが、無責任極まりない。お役所仕事の典型である。病気の場合は主治医があり、また年中無休の救急病院が、土日夜間を問わず24時間開設されており、受け入れは完全である。   
 指定訪問看護と云う名目で、2015年11月から、訪問看護料金が徴収去れており担当医師からも指示料金を取られている。問題は指定訪問看護と称するものの1)形式だけで実態はなく、2)インフォームドコンセント(説明と納得)は全くない、3)理解できない名目の請求書が送られてきている現実など、一方的である。監督すべき区役所職員、及び業者の説明責任を問いたい。
 以上は金銭的にはやや恵まれた人たち(といっても富裕層と言うほどではない)の話である。政治家はどう見ているのか、昨今の国会の論争をみても理解度は低い。一方では年金から源泉徴収を決めるなど、先進国で類を見ない暴挙である。又現在の制度下にある限り、老健ホームは看護師が主体になることは仕方がないと思う。医師の立場に立って完全な管理を行うことは物理的に不可能であるからだ。それだけにヒポクラテスの誓いやナイチンゲール精神を発揮するのはむつかしいかもしれない。老人たちにできる限りより添いたいとは思う。乳幼児の養育に心血を注ぐことは国の発展に極めて大切である。一方、余命いくばくもない高齢者に気を配ることも、大切である。その多くは今日の平和で、人に対して思いやりのある今の日本という国を、廃墟から立ち上げてくれた人々だからだ。そのような人たちが、黙って死んで行くのを座視していていいのか?

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終わりに

 乳がんに特化した診療に専念してきた私にとって、突然、その仕事の中止を強いられたことは、極めて多数の、頼って来られた患者さん達を見捨てることになる。それはできない。診療を続けるためには、老健ホームの施設長を続行することは不可能であった。私は即座に、希望を貫くために、施設長をやめることを決断した。これからは自分でも一番熟知し得る乳癌の診療に残された時間を捧げたいと思う。
 老人ホームの存在によって助かっている家族も少なからずある。家族全体に安定をもたらす要素も理解できる。しかし一方、死を迎えようとしている老人たちの気持ちを考えると、人間であれば誰もが必ず迎える最後の時の思いを、置かれている今の状況のまま放置していていいのだろうか。せめて感謝と満足の気持ちの中で死んでいってほしいと思うのは間違っているだろうか。

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